私の絵に描かれている風景は、 特定のモデルがあるのではない。
実際の場所に行って、スケッチしてきたものを 画面の構成として使っていない。
すべてイメージとしての風景である。
少し神秘的に言えば、イメージが私に降りてくる。
作品に描かれている山や、岬が特定された場所でないので、 観る人それぞれの懐かしい故郷の思い出の風景になり、 その人には紛れもない一枚の心象風景となる。
観る人たちにとって、自分のために描かれた 一枚の絵として感じるようです。
そして、私は感動を生み出すために絵を描いている。 何故なら、
人として、この世に生を授けられたのは、 感動するために生まれてきた。
光りもあれば影もある、悲喜こもごもの人生で、 生まれてきて良かったと感動することが、 誰もが一生のうちに数回はあるに違いない。
カルマとしての課題を今生で体験して解決した時、 それは流れる涙であろうが、または、こぼれる笑みであろうが この世に生を授けられた深い喜びを味わい、 大いなるものに感謝したくなる。
そんな感動を体験するために 私達は生まれてきているのだから。
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